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オヤジの情景~chapter1-23
私は体育の授業では自重することにしたが、部活では胸元が黒くクスみ、ボロボロになるまでフライングレシーブを連発した。
そして脚光を不動のものにした。
 
女子は私にカンセイを挙げた。
男子は私にウンザリした。
私はこの頃から自我が目覚め、スルドク色気づいてゆく、、。
なにせ、、。
女子同級生からは『カッコイイ』、
女子上級生からは『カワイイ』と、ンまぁ、、向かうところ敵無しであった。
オレってモテるんだゼェイ!と勘違いしても仕方のないことであろう。
なにせ生まれて初めて脚光を浴びたのだから、、。
しかも周りの女子は刻々と美しくなってゆく。
小学生時代の女子は、単なるケンカ相手だったが、中学生になると、ソレが異性になるのである。
ソコハカトナク男になりつつある私は、当然のごとく色気づくのである。
さらに部活の方でも、異変が起きた。
どうしたわけか良い塩梅に、部員が辞めていってしまい、なんと(9人制だが)私はレギュラーの座を獲てしまったのである!
ヒトというのは波に乗って勢いづくと幸運が重なる。
私はこうしたことを現在までに3度ほど経験したが、その最初の経験は、あきらかにこの頃のこの時のことである。
だが、『勢いづく』ということは、『いい気になる』ということでもある。
もちろん、この頃はソレがわからない。
また、『いい気になる』ということは『無礼になる』ということである。
私は『穴があったら入りたい』と思うことの多い男だが、その始まりはアキラカに、この頃であった。
もちろん、この頃にソレがわかるはずもない。
私は女子からの人気は上がったが、男子からはサンザンな評価をくだされていった。
私は今でも友達の少ない男だが、その片鱗はこのあたりからであろう。
だが、最低最悪なバカ野郎にはギリギリでならずにすんだようだ。
それは紛れもなくバレーボールのおかげである。
スポーツは、とても大切なことを教えてくれる。
私はその多くを先輩達から教わり、同級生から教わった。
そして秋になった頃、
私はスッカリご無沙汰していたギターと運命的な再会をする。
それは我が中学校に、文化祭シーズンやって来て、
色気づいた私にスルドク刺激を与えたからに他ならない。
続く。

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chapter1-22
我々バレーボール部の必殺技といえば、それはやはり『フライングレシーブ』であろう。
特に私のような小柄で軽量級の選手には、これ以上の技はないといって過言ではない。
何事にも形から入る私は、当然のごとくシッカと研究し、スルドい『フライングレシーブ』を習得するため、あらゆる努力を惜しまなかった。
習得できたとなると見せたくなるのが人情だ。
私は何かといえば『フライングレシーブ』を連発するようになった。
体育の授業のバスケでは、ボールがコートから出そうになると、フライングレシーブでボールをコートの中に戻した。
女子から歓声があがった。
私はタイヘン満足した。
走り高跳びもフライングレシーブで跳び、自己記録を更新した。
男子からドヨメキがあがった。
私はタイヘン満足した。
走り幅跳びはフライングレシーブで跳ぶと距離が損することを知った。
男子も女子も失笑した。
私はタイヘン恥ずかしかった。
50m走ではフライングレシーブでゴールしようとしたが怖くてできなかった。
これはやらなくて良かった。
体育の授業で、フライングレシーブを連発する私を、体育の先生が堪りかねて、「これ以上やったら張っ倒す」と低い声で囁いた…。
この体育の先生はバレーボール部の顧問監督で、とてもデンジャラスな先生であったので、その時私はチンモクし、フライングレシーブは控えようかなぁと思った。
いつだったか、私は授業中に、校内放送でこの先生に名指しで保健室に呼び出されたことがある。
何事かと急いで行ってみると、先生は保健室で焼き鳥を食っていらっしゃって「この焼き鳥美味いぞ、食え!」とおっしゃった。
私は焼き鳥を食った。
とても美味しかった。
先生の傍らには透明の液体が入ったコップあって、サスガにそれを私には薦めなかったが、先生はグビグビそのトウメイなエキタイをお呑みになっていた。
先生はご機嫌だったが、私は恐れオノノイた。
そんなこともあって、私は意味もなくフライングレシーブをしてはイケナイと心の底から反省した。
しかし、私のフライングレシーブは、意外な展開を見せた。
この年(1969年)10月からTVドラマ『サインはV』が放送スタート、うちの体育館がロケに使われたりして、船橋中学校はにわかにバレーボールブームとなったのである。
で、私のフライングレシーブ…。これが口コミで広がり、私はちょっとした有名人になったのである。
ナンにでもいえることであるが、シツコクやり続けるということは大事なのである。
挙句に私のフライングレシーブを観たさに女子が部活を見学しに来くるようになった。
お箸事件の後、私はゴキブリのように嫌われていたが、名誉を挽回する絶好のチャンスに巡り会えたわけだ。
私は『 機を見るに敏』というモンゴンをこの時初めて知った。
また私は『 千載一遇』というモンゴンをこの時初めて知った。
続く

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この日以来、私は変わった。
カッコつけて云わせて頂くと『男』としての第1歩をフンだのである。
まず言葉づかいが変わった。
『ボク』が『俺』になる。
『お母さん』が『オフクロ』になる。
『ご飯』が『メシ』になる。
『お友達』が『ダチ』になる。
『お巡りさん』が『マッポ』になる。
そういえば、
私らの頃は『不良』のことを『ヤンキー』とは云わなかった。『ツッパリ』と云った。
船橋中学校は、というより世田谷区には比較的ケンゼンなショーネンが多く、キケンな『ツッパリ』はあまりいなかったように思う。
これが台東区、荒川区、北区、江東区といった方面は当時、たいへんデンジャラスで、校内の廊下を生徒が先生を追いかけ回したとか、アッチの学校がコッチの学校に殴り込みをかけたとか、コッチの学校がアッチの学校に火をつけたとかブッソーな噂はキリがなかった。
だが、部活にハマっている私にはそんなことは関係なかった。
なぜなら私は確変したからである。
10回もできなかった腕立て伏せや、腹筋運動が、トツゼン出来るようになったからである。
私はこの確変が続けと願い、そして続くよう自主練を実行した。
朝起きると、
アパートの廊下で腕立て伏せ。
学校にゆくと、
休み時間に腕立て伏せ。
昼休みに腕立て伏せ。
そして部活が終わって家に帰っても腕立て伏せをした。
結果、腕立て伏せ50回、腹筋50回は余裕で出来るようになった。
船橋中学校バレーボール部は部員数約30名、我々新入部員は当初10数名いたが、1ヶ月で8名にまで減ってしまった。
腕立て伏せや腹筋などのトレーニングに、ついてこれないショーネンもいるのである。
だが私は確変したおかげでついていけた。
なぜ確変したのか?ソレはよくわからない。
が、ヒトというのは、聞くところによると、
たまぁ~にだが、トンデモない、意味不明の、説明のつかないコトをしでかす『いきものの』ようである。
そしてヒトは誰でも、一生の内1~2度は確変するようである。
また、私にとってシアワセだったのは、
それは頑張ると、ホメてくれる先輩や、仲間がいてくれたことである。
私は東京に転校して以来、仲間外れが続き、東京が嫌いになっていた。
だが、中学に上がってこの部活の体験で人生が変わった。
東京が好きになった。
そして何よりも人が好きになった。
私は救われたのである。
続く。