ほんごさとこ@スモーキーヴォイス#005

2018/02/03(sat)27:00~27:15
ほんごさとこ@スモーキーヴォイス#005

https://youtu.be/j_ZaHsRLo_M

温故知新
エラ・フィッツ・ジェラルド

卓越した歌唱力と、超人的ともいえるスキャットでのアドリブで、20世紀最高の歌手のひとりに数えられる。
13回のグラミー賞受賞。イェール、ダートマス、プリンストン大学からの博士号授与。大統領自由勲章の授与など、華々しい経歴のかげで、多くのジャズミュージシャンがそうであるように、私生活ではあまり恵まれなかったようである。

1917年ヴァージニア州に生まれ、ニューヨークで育つ。

家庭は母子家庭であり、さらに彼女が14才のときに母親が病死してからは、非行・警察の補導・少年院送り・ホームレス生活など、若くして人生の辛酸をなめる。
17才のとき、そんな彼女に転記がおとずれる。
ニューヨーク、ハーレムに現在も存在する「アポロシアター」。そこでの「アマチュア・ナイツ」にてダンスを披露する予定だったエラは、自分の前に出演した地元のダンス・デュエットの演技に圧倒され、急遽予定を変えて歌を披露した。そしてなんと、その夜のコンテストに優勝してしまう。
すぐに、チック・ウェブズ・バンドのメンバーBardu Aliにさそわれ、翌年からそのバンドとともにサヴォイ・ボールルームで歌手活動を開始する。4年後にバンドリーダーであるウェブズが死亡したときには、バンドの名前を「Ella Fitzgerald   and Her Famous Orchestra」に変更されるほどの看板歌手になっていた。
1941年からはソロでの活躍にうつり、14年にわたりデッカ・レコードと契約していたが、その後、名プロデューサーであるノーマン・グランツと出会い、ノーマンが興したふたつのレーベル「ヴァーブ」と「パブロ」から数多くの名盤を発表した。
彼女の真骨頂は数多くのライブ盤で特に顕著で、ローマ、ベルリン、パリでのライブ盤は現在でも名盤として記憶されている。また当時多くの歌手が共演を願っていた「ネルソン・リドル」の楽団とも、ガーシュイン、ジェロム・カーン、ジョニー・マーサーの作品集を発表している。
健康の悪化により、1989年の『All That Jazz』が最後のアルバムとなった。
私生活においては2度の結婚を経験、一度目のベニー・コーネゲイとはごく短期の結婚に終わったが、その後有名なベーシストであったレイ・ブラウンと結婚したことは有名である。しかしその結婚も5年で終焉おむかえ、その後は一度も結婚しなかった。
晩年のエラは、特に健康面で恵まれず、糖尿病により盲目となり、1993年には手術で両足を切断した。1996年6月15日、カリフォルニア州ビバリーヒルズで死亡。エラの個人文書や財産の一部は、スミソニアン学術協会や、ボストン大学、アメリカ議会図書館に保管されている。
BGM
Lover, Come Back to Me
Lullaby Of Birdland

ライブ
I’m Begining to see the light /ほんごさとこ
I’m Begining to see the light / Duke Ellington, Don George, Johnny Hodges, and Harry James

注目のアーティスト
moon『Speak Low』『Kiss Me』

ほんごさとこ@スモーキーヴォイス 出演:ほんごさとこ(ヴォーカル/MC)今井慎一郎(ピアノ)吉野悟(ギター) 構成:卵掛御飯 演出:山路隆俊 撮影:九社王次三 照明:白井彩乃 録音:昼田純一 ヘアメイク:麓孝利 編集:山路禮照 スクリプト:戸益礼子 ミックス:DJ Tomm 仕上げ:東京オフラインセンター 録音助手:山田永 撮影協力:新横浜ラントラクト ジャズバー チャーリーズ・バー 協力:株式会社ambience チャーリー半田 ユニバーサルミュージック合同会社 制作補:昼田純一 プロデューサー:山路隆俊 エグゼクティブ・プロデューサー:サウスフィールド 制作:有限会社ジェイズミュージック 提供:ワイツーファクトリー株式会社

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