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scene-chapter1-9

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話を戻します。

ともあれ私は小学4年生の夏休みに、母と共に東京に出て、親子二人の新生活は始まった。
父の眼から逃れるため、甚だ慌ただしい転居だった。
住居は小田急線の千歳船橋駅で降りて徒歩5〜6分。
木造2階建て、四畳半一間、共同台所、共同トイレ、共同洗い場というアパートだった。
私らは2階の階段を上がって3番目の部屋に住んだ。
新学期が始まるまでには少し間があって、私は久しぶりに母の温もりを満喫したかったが、母は私の転校の手続きやらナンやらが大変だったらしく、非常にキョーボーになっていて、ニャンニャン甘えようとすると、ヒッパタカレたりするので迂闊には近寄れなかった。
余談ですが、
私が少年の頃というのは、子供はよくヒッパタカレていたものである。私も母によくヒッパタカレていた。
念のため云う。
叩かれたのではない。
ヒッパタカレたのである。
ヒッパタクという行為は優しさにアフレテいる。
叩くとか蹴るとかとはマッタクの別物だ。
叩く蹴るには優しさなどミジンもない。
この頃はヒッパタクという行為は日常的で、ありきたりであった。
親だけでなく、学校の先生にもよくヒッパタカレた。
ワルさをすると行き交うおじさんにもヒッパタカレた。
大人達は当たり前のように子供をヒッパタイたのである。
またそれを咎める者など誰一人いなかった。
そうやって子供は社会のルールと礼儀を覚えた。
古き良き時代の話である。
東京での新学期が始まった。
そこで私は仲間外れにあった。
初めての経験だった。
それは小学校を卒業するまで続いた。
このときの経験は私の中の闇として今も消えることはない。

鬱々とした日が続いた。

そんな或る日、母がギターを買ってくれた。

引きこもっている一人息子を不憫に思ってのことであろう。
母はキョーボーで、大ホラ吹きな女性ではあったが、私に対する愛情は一途で、ひたむきで、強く、深く、要するにグレイトな母親であった。
母が買ってくれたギターは、無名のガットギターで、セットで教本がついていた。
練習曲は『荒城の月』『ドナドナ』の2曲だった。
『ドナドナ』は知らなかったので、『荒城の月』で練習した。
弾いてみると、指がイタイ、イタイで、中々上手く弾けなかった。
わが家の財政事情はとてもキビシク、私はそれを認識していた。だからオネダリなんぞ、けしてしない子供だった。
母はそれを気にしていたらしく「まったく、これ見よがしに我慢しちゃっててさぁ。」と、後年それを私に明かしたことがある。
だがこの時ばかりは、仲間外れの息子を哀れんで、無理して買ってくれたギターなのである。
私はとても嬉しかった。
だから頑張って上手く弾けるようになって、早く母に聴かせてやりたかった。
それなのに私は中々上手くならない。
なんだか母に申し訳ない気がしてたまらなかった。
転機が起こる。
私たち親子の、当時の住まいのことは既に記したが、そのアパートの隣部屋に、キレイなお姉さんが独りで住んでいた。
私は友達がいないので、学校が終わるとソソくさと帰宅する。
時間でいうと15時過ぎだが、なぜだかそのお姉さんは、その時間帯にいつもアパートにいた。
私はそのキレイだがアヤシイお姉さんが気になってしょうがなかった。
あるとき、
「ギターやってンの?」アパートの通路でお姉さんは私に話しかけてきた。
私は中1の頃からモーレツに色気づくが、まだこの頃は無頓着だ。
「ウン、やってる。うるさい?迷惑?」
「ンンん、大丈夫。」
「上手く弾けなくて…。」
「お姉さん、ちょっと弾けるよ。教えてあげようか?」
「え、ほんと?」
「おいで。」
私はお姉さんの部屋へとイザナワレテいった。
続く

鶏胸肉とキノコのクリームシチュー

鶏ムネ肉とキノコのクリームシチュー
冷凍ブールマニエを使ったクリームシチューです。
とても簡単に作れて、しかもレストランの味。
気になる糖質や塩分も控えめで、安心のクリームシチューです。
食材(二人分)
鶏ムネ肉1枚(400g)、
a_水3カップ、レモン塩小さじ1
b_バター大さじ1、 ブールマニエ50g、 キザミ生姜&大蒜大さじ1、玉葱1/2ヶ(150g)、 舞茸、シメジ(各1パック、石づきを除き、手でほぐしておいて下さい)
生クリーム(1/2カップ)、塩・胡椒適量、粉チーズ適宜、 パセリ小さじ1 (みじん切り)
作り方
1.鍋にaを入れ、強火にかけ沸騰させて下さい。
2.鶏胸肉を3〜4等分に切り分け、1に投入してください。20~30秒、再び沸騰しかけたところで火を止め、蓋をして10分放置します。10分経ったら肉を取り出し、熱が落ち着いたところで、手でざっくりと割いておいて下さい。(茹で汁は美味しいスープ。次に使いますので残しておいて下さい)

3.フライパンにbを投入、中火にかけて下さい。ブールマニエがとけてくるとモッサリしてくるので、2の残した茹で汁をお玉に1つ分(約80ml)くらいづつ入れてのばしてゆきます。

4.様子を見ながら 、お玉に5つ分くらい(約400ml)茹で汁を入れると、いい感じのとろみがつきます。
5.4に生クリームを入れ、塩・胡椒で味を決めて出来上がりです。お皿に盛り付け、粉チーズ(お好みで)、パセリをふりかけて召し上がって下さい。

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オヤジの情景
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父は、頭脳明晰、やさ男で、それでいて頑固でワガママな男だった。

イイとこのボンボンで、慶応大学を一発入学、地元では神童と謳われていたらしい。
慶応在学中はテニス選手としてもブイブイいわせて、銀座の街を肩で風切ってカッポしていたという。
一方母は、
意気軒昂、武闘派で、それでいてビビリで、涙もろい女性だった。
私の大好きな祖母の長女だが、祖母が再婚するとき、「子持ちワカメじゃいけない」ってんで、田舎の置屋にオッポリ投げられた。
詳細については、大ボラ吹きで多弁な母だがチンモクを通している。
置屋という場がそうさせたのであろうか、日本舞踊家を夢見る少女になった母は、
ビビリのくせに、10代で家出同然で上京。
20代になってからは銀座でホステスをしながら夢を追いかけていたという。
そうした頃、
父と母は出逢った。
二人はハゲシク恋愛し、
そして駆け落ちした。
父が21歳、母は20歳だった。
ずいぶん後になってからだが、2人から個別に、当時の話を聞いたことがある。
母曰く「東京に出て2年目くらいに、踊りの関係の人から銀座の高級クラブを紹介されてさ。仕方がなくホステスさ。あっという間にNo1になって、派手な生活をしたものだよ。お父さんはその店の常連で、偉そうにしてたけど、実はウブで…。ンまあ、つきまとわれて困ったものさ…。」と云っていた。
父曰く「お母さんが銀座でホステス?違うよ…。銀座は銀座でも新橋寄りのスナックでバイトしていたんだよ。ウブでケナゲで可愛い娘だったなぁ。ンまあ、ちょっとジャジャ馬だったけど、俺に夢中でね。つきまとわれて、大変だったよ…。」と云っていた。
ともあれ父と母は出逢い、そして大恋愛の末、駆け落ちする。
そのまま父は大学を中退、神童と謳われたエリートは『駆け落ち』というカンバンを背負って、
母とともに世間の荒波の中へと打って出たわけである。
だけどヤッパシ世間の荒波はキビシカッタ…。
父と母の駆け落ち生活は1年くらいで終わりを遂げた。
ようするに二人は、父の実家に許しを乞うて結婚したのである。
まぁ思い切って駆け落ちした割には呆気なく結婚したものである。
これは父の仕業であろう、イイトコのオボっちゃまの必殺技で、ありがちなことである。
ところで、この駆け落ち。もうひとつ逸話がある。
続く