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或る日の情景~猫04

流浪の以蔵
オスのブラックペルシャ、人なつっこくて、穏やかで、不器用で、、。
武闘派こきちクンに引きずりこまれた闘争に敗れ、負け犬のようになってしまった以蔵クン、、。
君は今、何処にいらっしゃいますか?
逝ってしまった猫のことが忘れられない還暦のオヤジです。
既に記した通り我が家には3頭の猫がいらっしゃいました。
最初がチンチラシルバーの『お蝶』、次がこの『以蔵』、最後がアメリカンカールの『小吉』。
以蔵クンはブリーダーさんから譲っていただいたペルシャで、血統はとても良い猫でした。
キッカケはお蝶チャンの『ケツの穴事件』で
私が家庭内で孤立し、家内に泣いて頼んで家族にした猫でした。
ところがコリない私の悪行三昧!
酔っ払ってデカイ声を出すは、ドカドカと歩き回るは、嫌がる彼を抱きまくるはで、結局嫌われて、、。
挙句は「以蔵クン♡』と私が呼ぶと、「シャアあああっ!」と威嚇する始末、、。
そして、彼の最大の悲劇は『小吉』の登場、、。
こきちクンはハナっから強気で、しかもミルミル巨大化して、1年も立たないうちに以蔵クンより大きくなって、、。
ツンデレのお蝶は、オーボーなこきちクンに屈しなかったのですが、穏やかな以蔵クンは、イジメられっぱなしで、しまいにはご飯もトイレもさせてもらえない始末、、。
私達夫婦は熟考に熟考を重ね、ある方に引き取ってもらうことにしたのです。
そのある方にはパートナーがいらっしゃって、それはもう大事にしていただいて、シアワセに暮らしていたとの由。
メデタシ、メデタシだったのですが、、。
そのある方たちが別れることになって、以蔵クンはある方のパートナーさんが引き取ることに、、。
私共夫婦は、パートナーさんとは面識もなく、
結局、以蔵クンのその後の消息は知らずじまい、、。
なんとも無責任な飼い主となった私共夫婦です。
せめてもの救いは、こきちクン、お蝶チャンの最後を見とれたことですが、やはりナニかが引っかかって、彼らを亡くして、かれこれ10年になろうとしていますが、もう一度『猫』をと決心できない今日このごろです。

或る日の情景~猫03

こきちの一分
「こきちクン。」と、呼びかけたところコノ表情です。

通訳しますと。
「ン、なんでぇい!ウルせぇじゃねぇか!」
アンマリな物言いなので、私は口応えしました。
「あのね、もっとキャーイク振り向いて、ニャンニャンとか言えないの?」
 するとコノ表情です。

通訳します。
「おぅ、おぅ、おぅ、ベラぼーめ!何云ってやがんでえい!こちとら江戸っ子でぇい!」
私は沈黙しました…。
こきちクンが、我が家においでになったのは(既に記してますが)、マダ生まれて2ヶ月ちょっとでタイヘン小さかったのですが、なんだかヤタラと強気な子猫でした。
その頃我が家には、チンチラシルバーの『お蝶』、ブラックペルシャの『以蔵』(因みにこきちクンはアメリカンカールの『小吉』)が既にいらっしゃって、静かな空間が定着していたのですが、こきちクンの登場でスッカリ我が家の芸風が変わってしまいました。
こきちクンのキャラは武闘派で、キョーボーかつオーボー!
なんせ、ご飯をいただくにも、戦闘的で、それまでは「ミョウ、ミョウ」とかいうお蝶チャンと以蔵クンのヒーリング系サウンドだったのが、「ワオ、ワオ、ワオ~ン」とラウドでノイジーなサウンドが体制を占めるようになり、すべてにおいて、妙に殺気立ったフンイキの我が家になってしまいました。
とはいえ、こきちクンには憎めないトコロもあって、我々夫婦はタイヘン楽しい時間を彼から頂いた次第。
感謝の気持ちでいっぱいです。
余談ですが、こきちクンには兄弟がいて、ソノ娘はL.A在住のハズですが、
でも、もう生きてはいらっしゃらないでしょうね。

scene-chapter1-22

chapter1-22
我々バレーボール部の必殺技といえば、それはやはり『フライングレシーブ』であろう。
特に私のような小柄で軽量級の選手には、これ以上の技はないといって過言ではない。
何事にも形から入る私は、当然のごとくシッカと研究し、スルドい『フライングレシーブ』を習得するため、あらゆる努力を惜しまなかった。
習得できたとなると見せたくなるのが人情だ。
私は何かといえば『フライングレシーブ』を連発するようになった。
体育の授業のバスケでは、ボールがコートから出そうになると、フライングレシーブでボールをコートの中に戻した。
女子から歓声があがった。
私はタイヘン満足した。
走り高跳びもフライングレシーブで跳び、自己記録を更新した。
男子からドヨメキがあがった。
私はタイヘン満足した。
走り幅跳びはフライングレシーブで跳ぶと距離が損することを知った。
男子も女子も失笑した。
私はタイヘン恥ずかしかった。
50m走ではフライングレシーブでゴールしようとしたが怖くてできなかった。
これはやらなくて良かった。
体育の授業で、フライングレシーブを連発する私を、体育の先生が堪りかねて、「これ以上やったら張っ倒す」と低い声で囁いた…。
この体育の先生はバレーボール部の顧問監督で、とてもデンジャラスな先生であったので、その時私はチンモクし、フライングレシーブは控えようかなぁと思った。
いつだったか、私は授業中に、校内放送でこの先生に名指しで保健室に呼び出されたことがある。
何事かと急いで行ってみると、先生は保健室で焼き鳥を食っていらっしゃって「この焼き鳥美味いぞ、食え!」とおっしゃった。
私は焼き鳥を食った。
とても美味しかった。
先生の傍らには透明の液体が入ったコップあって、サスガにそれを私には薦めなかったが、先生はグビグビそのトウメイなエキタイをお呑みになっていた。
先生はご機嫌だったが、私は恐れオノノイた。
そんなこともあって、私は意味もなくフライングレシーブをしてはイケナイと心の底から反省した。
しかし、私のフライングレシーブは、意外な展開を見せた。
この年(1969年)10月からTVドラマ『サインはV』が放送スタート、うちの体育館がロケに使われたりして、船橋中学校はにわかにバレーボールブームとなったのである。
で、私のフライングレシーブ…。これが口コミで広がり、私はちょっとした有名人になったのである。
ナンにでもいえることであるが、シツコクやり続けるということは大事なのである。
挙句に私のフライングレシーブを観たさに女子が部活を見学しに来くるようになった。
お箸事件の後、私はゴキブリのように嫌われていたが、名誉を挽回する絶好のチャンスに巡り会えたわけだ。
私は『 機を見るに敏』というモンゴンをこの時初めて知った。
また私は『 千載一遇』というモンゴンをこの時初めて知った。
続く