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或る日の情景~銀座界隈01

Bar Lupin Ginza
銀座ルパン
1928年(昭和3年) に開店した銀座のバーです。
初めて訪れたのは40年近く前で、当時勤めていた会社の社長に連れてきてもらいました。
もっぱら新宿のゴールデン街やションベン横丁(思い出横丁)でヘベレケになっていた私には銀座のバーだなんて『とんでもございません』という感じでしたが、恐悦至極で社長の背中を追って入店したことが思い出されます。
そういえば「ルパンに行ったよ」と、要介護5で寝たきりになる前の母に、そう報告したトコロ、「懐かしいねぇ、お父さんとよく行ったよ」と、母は私に嘘をつきました。
母は一滴もお酒が飲めない女性なのです。
今は亡き父も「お母さんとルパン?行ったことないなぁ~、お母さんは呑むより喰うだったから、、。隣の鳥ぎんはよく行ったけど(笑)」との由。
しかし昭和6年生まれで東京に憧れて上京した母にとって銀座は聖地、ドヤ顔で銀座を語る母の横顔は晴れやかでキレイで、とても素敵な情景でした。
ルパンへは、織田作之助・坂口安吾・太宰治など『無頼派』と云われるソーソーたる作家さん達が出入りしていて、店内には彼等の来店時の写真が飾られています。
中でも太宰治の写真はツトに有名で、太宰ファンの方なら一度は目にしたことがある写真ではないでしょうか。
私は太宰治よりも手塚治虫の人間なのですが、この太宰治の写真は素晴らしい写真で、当時の東京銀座の情景が忍ばれる貴重な写真でもあります。
そんな写真を横目に、また、昭和の風情あふれる店内のフンイキに身をユダネて、伝統のドライ・マティーニを頂く、、。
いいなぁ~、、。とっても素敵だなぁ~、、。
また、ルパンで使うウィスキーグラスの中には、開店当時から使っているものもあって、運が良ければ太宰治が呑んだグラスに出くわすかも!?
と、なると太宰治と間接キッス!
また、ルパンのお手洗いのドアノブは当時のままなので、太宰治と間接タッチ、、。
むむむっ、太宰治ファン、あるいは『無頼派』 の愛読者はたまらないでしょうね。
いやぁ~、、。
やっぱ老舗っていいなぁ〜。
店内には大勢のヒトビトのタクサンの情景が埋め込まれているわけです。だからダナラヌ気配がするわけです。ソレが良いんですね。
ハァ〜、せっかく止めれたお酒ですが、また呑みたくなっちゃったなぁ、、。
だなんて思わないよう、頑張らなければいけない今日此の頃です。

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世田谷区立船橋中学校(現在の船橋希望中学校)に、
文化祭シーズンがやってきた!
1年生の私にとっては当然、初めての文化祭である。
体育祭が終わると、学校全体がヤレヤレという感じになる。
これはつまり教師側が醸し出すフンイキで、どっこいしょと腰掛たムードになるのである。
ところが学生側は違った。
ナンだか、ワクワク、ドキドキした感じになってきて落ち着かない雰囲気になる。
体育祭は教師たちの指示のもと、予行練習なんかもあって、
学生側からしたら、なんとなくやらされてる感じで、
シラけたところがあるのだが、ソレが文化祭は明らかに違った。
ソレは何かというと、つまり学生中心に物事が行われるのである。
今の時代ではあり得ないことであろう。
このころは、教師側もおおらかなもので、かなり自由にやらせてくれたのである。
ホームルーム(HR)という授業科目があって(今あるのかな…)、
この授業によって文化祭のことが色々と決められてゆくのだが、
1年坊の我々は初体験なので、まずは担任の先生がエスコートして下さるのだが、
ほんとに口出しするのは最初だけで、あとはいい意味でテキトーにやらせてくれるのだ。
先ずは実行委員の選出だ。
当然皆しりごむ。
私はこの頃、フライングレシーブを連発し、何かといえば(何もないんだけど…)大声を張り上げて元気一杯だったが、
ここでは『シジミ』のように小さくなり、無言の殻の中に閉じこもり沈黙していた。
幸いにも実行委員は簡単な選挙によって、フサワシイ同級生が選ばれ、そしてタダシク運営される運びとなった。
残念なことに、この時、私のクラスが何をやったのか、私がどんなハタラキをしたのかは、全くもって失念してしまった。
だが私はこの1年生の文化祭を生涯忘れない。
後の私の人生を決定づけたと云って過言ではない経験をしたからである。
私は生まれて初めて、生バンド演奏を目の当たりにしたのである。
それは大音量で私の度肝をぶち壊した。
放課後にトツゼン上級生の教室で、生バンドのリハーサルが始まったのだ。
私は、というか私のクラス全員がブッたまげて上級生の教室に向かった。
そこで観た情景は、今、思い出しても胸が高鳴る。
3点セットのドラムにエレキのギターにベース、、。
テレビのグループサウンズのような演奏光景が目の前で行われた。
皆口々に『アッと驚く為五郎!』と叫んだのは、云うまでもない。
続く

或る日の情景〜船引界隈03

墓地の入口、
痩せた土壌に佇む花
義父母が眠る墓地だからでしょうか…。
その入り口の痩せた土壌に咲く花は、つつましくも凛として、ブレない強さを感じます。
ここは福島県田村市船引。
私はこの辺りのことをアーだのコーだのと云う無礼な輩を大勢知っています。
私は、こうした輩がゴキブリに喰われてしまいますよう、ヨガの秘法であるコブラのポーズをとって、マヤの精霊、インカ帝国の太陽神インチ等全知全能のあらゆる神に祈りを捧げている今日この頃です。
義父の49日で船引を再訪しました。
義父の思い出を語り合うこの土地の方々は相変わらずマジメで、ひたむきで、ユカイで、微笑ましいヒトビトでした。
義父の娘婿である私は、いわゆる場違いな身。
ところがここに住まう方々の優しさは、
場違いな還暦オヤジにも注がれます。
義兄は相変わらずエネルギッシュ!酸いも甘いも良く知る男伊達。
義姉は持前のおおらかさで、見事に3男1女を育て上げました。
義弟は亡き義母と共にハンデと戦かった強い心の男。
姪っ子はお医者さまでかつ、『不妊治療』の探求者。
甥っ子達は義兄と共に義父が創業した家業を継いで頑張っています。
『トキワの人間発電所』エイイチッアンは、どうもエイジアンチャンというのが正式呼称と判明。
『大越の破壊王』ショーちゃんと二人で、今や『焼跡の猿』である私を肴に呑んだくれています。
先日美味しい野菜を下さった甥っ子の奥様の実家のお父様に、ようやくお礼を申し上げることができました。
お父様は見るからに優しそうで、そんなお父様につけ込んで夏野菜の無心…。
さらにはエイジアンチャンに山菜の無心までイテこます始末。
我ながら呆れた『焼跡の猿』でした。
さて、義父は草葉の陰で、この娘婿をどうみているのでしょうか…。
いずれは伺いに参ります。