「オヤジの情景」タグアーカイブ

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chapter1-19
私はなんと腹筋50回もクリアしてしまったのである。
ここは大いにドヤ顔したいトコロだが、それどころではなかった。
私の体と精神はドコか遠いトコロに行ってしまったようで、ホボ幽体離脱状態になっていた。
腹筋のあとも、体育館の壁に背を付けて、ヒザを90度に曲げ、なおかつ両腕を『前に並ヘ』して、数を50まで数えるというカコクなトレーニングをしたような気がするがよく覚えていない。
だが、最後に『校門まで駆け足往復リレー』というのが行われたのは忘れもしない。
「先頭は立石、いけ〜!」と、飯田先輩は、後に私の大親友となる立石君に、先頭スタートを命じた。
「次は山路!待機!!」と、次は私の番である。
この頃の私どもにはユニフォームなどあるわけもなく、胸にマジックで名前を書いた体操着を着用していた。
飯田先輩がケイカイに我々一年坊の名前を呼べるのはここに起因する。
一人だけその体操着に名前を書いてない輩がいた。
私はモーローとした中で「コイツは呼ばれないのかな…?て、ことは走らなくていいのかな…?」
などと意味不明なことをブツブツ言いながら、生まれて初めて『神様』と、『仏様』に何事かをお願いした。
何をお願いしたかは覚えていない。
立石君はびしょ濡れになって戻ってきた。
次走の私も往復200mほどの距離を必死に走リ、戻った…ような気がする。
このリレーは10数人いる一年坊を2つに分けて競い合うのであるが、アンカーまで走り終えると、また先頭に戻って繰り返し、これを残り少なくなった部活時間いっぱいまでやるのである。負けたチームにはペナルティがあった。
私は『無我夢中』、というモンゴンをこの時初めて知った。
そして『為せば成る』、というモンゴンもこの時初めて知った。
続く。

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chapter1-18
私は皆と共に腕立て伏せの姿勢をとった。
その時、私は意外な光景を目にした。
飯田先輩も、腕立て伏せの姿勢をとったのである。
こうした場合、TVドラマなんかだと、先輩は竹刀かなんかを肩にのせ、ノシノシ歩きながら「気合入れろ!バーロォォ!」だなんて云う情景である。
ところがそれが違っていた。
飯田先輩は、清く正しく美しいココロの先輩だったのだ。
「いーち!」と云って、飯田先輩が腕立てを率先する。
否が応でも我々は後を追わねばならない。
20回ぐらいで、1人脱落した。
飯田先輩は構わず続ける。
30回くらいで半分落ちた。
そして50回を終えた。
奇跡が起きた。
私は腕立て伏せ50回をクリアしたのである。
できちゃったのである。
念のためもう一度云うと、やってのけたのである。
私は『巨人の星』の星飛雄馬のように天を仰ぎ、涙しようとしたが、だが飯田先輩は私のことなど目もくれず「次!腹筋50回!」と、息も切らさずケーカイに号令した。
私は再び驚いた。
私は腹筋も50回だなんてやったことがないのである。
腹筋は2人一組で交互に足をおさえて運動する。
私のパートナーは、腕立て伏せの脱落組であり、既に『顔面蒼白』『意気消沈』『戦意喪失』状態で、今にも泣きそうな顔で私を見つめている。
私は彼が気の毒に思えた。
とはいえ、同情している場合ではない。
私は自分のことで必死だった。
思えばこんなにも必死になることなど一度もなかった。いつも母が守ってくれた。
だが今ここに母はいない。
私は必死になった。
そして、
再び奇跡が起きた。
続く。

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chapter1-15
その洋食店は、入り口から見て左側にカウンターが6〜7席、右側に4人がけのテーブルが3つほどの、広くもなく狭くもないお店だった。
入ってすぐ左がレジになっていて、カウンター席正面の向こう側が厨房になっていて、オープンではなく壁で仕切られ、調理するところは見えなかった。
調理に興味を持ち始めたばかりの私は少なからずガッカリした。
だが、喜ばしいことがあった。ホールスタッフが二人いて、いずれもお姉さんで、そのお姉さんたちは、明らかに私のことを気に入ったようなのだ。
「あの子可愛い!」という二人のツブヤキを私は聴き逃さなかった。
『やった!』と私は思った。『良くしてもらえるかも!?』と思った。
中華料理店の御夫婦のように良くしてもらえると思ったのである。
計算高いガキである。
この洋食店はご家族で営んでいたと思われる。
想像だか、厨房にいるのがお父さん。レジにいるのがお母さん。そしてホールスタッフに娘二人。というのが私の想像である。
で、この姉妹は、あまり似ておらず、
上のお姉さんが『ウルトラマン』のフジアキコ隊員(知らないだろうけど)にソックリで、妹は『世界は二人のために』の佐良直美(知らないだろうけど)にソックリだった。
私はひとまずカウンターに座った。
計画ではハンバーグを食べるつもりだった。
と、いうのも、この数日前。
私は母に連れられて、銀座のデパートの大食堂に行った。
いわゆる『お出かけ』というやつで、
母は私を連れての『お出かけ』 は銀座と決まっていた。
銀座は父と母の思い出の地である。
デパートの大食堂は和洋食からラーメン、お子様ランチ、チョコレートパフェまでオールランドで、1960年代の子供達のパラダイスだった。
そしてその大食堂で、私は驚くべきことを知った。
それは、千歳船橋で40円の中華そばが、銀座では70円もすることであった。
それだけではない。ショーケースに陳列するメニューは、なにからなにまで高価だった。
だが、そのメニューの中で注目すべき一品があった。それがハンバーグである。
それは千歳船橋の洋食店のショーケースにも同じものがあり、その値段が格段に違った。つまり千歳船橋のハンバーグは安いのである。
『ハンバーグは千歳船橋で食べよう』私は心に誓った。
席に座ると予期せぬことが起きた。
お姉さんがお水と共に「こちら、メニューになります」と言って革のカバーで覆われた冊子を私の前に置いていったのである。
私はこのとき初めて『メニュー』というモンゴンを知った。
私は知ったような顔をし、それなりの振る舞いをしつつ、そのメニューを見てキョーガクした。
ハンバーグの値段は単品の値段だったのである。
ショーケースに書かれた値段は確かに一緒で、でもそれは単品価格で、そこにライスが付くと予算オーバーの値段になってしまう。
私は焦った。
早くオーダーしなければ、、。
そして決断した。
『ハンバーグはあきらめよう』
もう帰りたくなった。
だが、何も食べない訳にはいかない。
私はソッコーで予算内のメニューを探し出した。
そしてオーダーした。
「ウィンナーピーマンとライスをください」
これまで、見たことも聞いたこともないメニューである。
で、食べた。
コレガトッテモウマカッタ!
あああっ、哀愁の『ウィンナーピーマン』
今でも私の大好物である。
続く