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或る日の情景~猫01

こきちクン
オスのアメリカンカール、綺麗なブラウンマッカレルタビーの大柄な猫で、写真は5〜6歳の頃で約12kgぐらいありました。
2008年の6月に腎不全で、私と家内の目の前でゼイゼイいって、逝ってしまいました。
まだ10歳でした…..。
 
仰向けの私にノッかるのがお気に入りで、この体制でフミフミされると私もイッてしまいそうで困ったモノでした、、。
性格は憎めないバカヤローで、『ヌキ足サシ足』が売りの猫のはずデスが、彼の場合はドタバタいわせて歩きます。
ので、『ダルマさんがコロンだ』遊びが、大きな足音でバレバレになって面白くありませんでした。
名前は幕末の巨人『勝海舟』のオヤジ『小吉』からとりました。
勝小吉はチャキチャキの江戸っ子で喧嘩が大好き。
腕っぷしも剣の腕も優れ、道場破りをして徘徊、不良旗本として恐れられた暴れんボーです。
こきちクンも、生後2ヶ月で我が家に来た初っ端に、先輩猫にむかって、ナナメぴょんぴょん跳びで果敢に挑発するその姿に、ビンボー旗本『小吉』の姿が被った次第です。
小吉くんは、その死の2年前に、腎不全で余命1週間と宣告され、心優しい獣医さんのすすめで自宅に引き取ることにし、余命を見守ろうとしたのですが、なんとそれから2年間、生きながらえました。
私は、看病する家内の気合と根性に、そして、ヒトの気持ちというのを、ドウブツはちゃんと受け取るものなんだと、つくづくカンプクしました。
この時の家内の振る舞いは、人としてタイヘン立派なもので、今でも尊敬してやまない、素敵な女性です。

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chapter1-19
私はなんと腹筋50回もクリアしてしまったのである。
ここは大いにドヤ顔したいトコロだが、それどころではなかった。
私の体と精神はドコか遠いトコロに行ってしまったようで、ホボ幽体離脱状態になっていた。
腹筋のあとも、体育館の壁に背を付けて、ヒザを90度に曲げ、なおかつ両腕を『前に並ヘ』して、数を50まで数えるというカコクなトレーニングをしたような気がするがよく覚えていない。
だが、最後に『校門まで駆け足往復リレー』というのが行われたのは忘れもしない。
「先頭は立石、いけ〜!」と、飯田先輩は、後に私の大親友となる立石君に、先頭スタートを命じた。
「次は山路!待機!!」と、次は私の番である。
この頃の私どもにはユニフォームなどあるわけもなく、胸にマジックで名前を書いた体操着を着用していた。
飯田先輩がケイカイに我々一年坊の名前を呼べるのはここに起因する。
一人だけその体操着に名前を書いてない輩がいた。
私はモーローとした中で「コイツは呼ばれないのかな…?て、ことは走らなくていいのかな…?」
などと意味不明なことをブツブツ言いながら、生まれて初めて『神様』と、『仏様』に何事かをお願いした。
何をお願いしたかは覚えていない。
立石君はびしょ濡れになって戻ってきた。
次走の私も往復200mほどの距離を必死に走リ、戻った…ような気がする。
このリレーは10数人いる一年坊を2つに分けて競い合うのであるが、アンカーまで走り終えると、また先頭に戻って繰り返し、これを残り少なくなった部活時間いっぱいまでやるのである。負けたチームにはペナルティがあった。
私は『無我夢中』、というモンゴンをこの時初めて知った。
そして『為せば成る』、というモンゴンもこの時初めて知った。
続く。

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chapter1-13
 
ラーメン一杯40円。1967年頃のことである。
私は母に連れられて、
千歳船橋駅からほんの2〜3分のところにある中華料理店で40円のラーメンを食べた。
確か『ラーメン』ではなく『中華そば』といってたような気がする。
これがとってもウマカッタ!
「美味いかい?」と問う母に、「とっても!」と答えた。
これで決まった。
母はこの店を選んだ。
お店の名前は残念ながら逸してしまったが、
まだ若い、30代の御夫婦と、アルバイトっぽい店員サンとで営んでる、ソコソコ広い中華料理店だった。
お勘定する時、母はおカミさんとホンの少しの間二人で話をしていた。
やがて私のところにおカミさんが近づいて来て、
「よろしくね!ちっちゃい常連さん。」と云った。
私はこのとき初めて『ジョーレン』というモンゴンを知った。
そして私はこの店の常連となった。
朝、目覚めるとチャブ台の上に50円が置いてある。
私の夕食代だ。
私はこのお金で常連である中華料理店に行き、40円のラーメンを注文する。
10円お釣りが来る。
母に返そうとしたら「釣りはいらないよ、好きに使いな。フン」とか云って、私の顔を見もせずにツブやいた。
でもスグに「男前だろ!」とか云って母はドヤ顔になった。
私はこのとき初めて『オトコマエ』というモンゴンを知った。
そして私は大人になるまで『オトコマエ』は女性がなるものだと思っていた。
「今日もいつものでいいのかい?」
「うん、いつもので。」
私はこの店主との掛け合いが大好きで、
ジョーレンの醍醐味!というか、大人っぽくてカッコよろし!というか、
同級生の連中とはワケが違うんだもんね、、フン。という感じであったが、
さすがにラーメンばかりはツラくなってきた。
オトコマエな母によってお釣りの10円が、ありがたいことに随分貯まってきた。
ここはひとつフンパツしたいところだが、店主との掛け合いも捨てがたい。
うううむぅ、悩むではないか!などとモゴモゴしているある日。
いつものようにラーメンを啜っていると、突然餃子が出てきた。
もちろん注文してはいないので呆気にとられていると、
「注文がキャンセルになっちゃってさ。」と店主が私の顔を見もせずにツブやいた。
でもスグに「ご奉仕!」とか云って店主はドヤ顔になった。
私は初めて『ゴホーシ』というモンゴンを知った。
そして私は大人は照れると目を合わさないということも知った。
だが、これはありがたかった。
私は思わず、
「うわぁ~、うれしい!美味しそう!!」と云ってハシャイでみせた。
私はこういうところがイヤラシイ子供なのである。
しかし店主はマンザラでもなく、以来「ゴホーシ!」と云っていろいろなものを出してくれた。
なにもない時は白飯を出してくれた。
私は密かに『ラーメン半ライス』を初めて食した小学生は私ではないかと自負している。
また私は偏食であったが、
この時の『ゴホーシ』で大概のものが食べれるようになった。
私はこの店で得難い『食育』を受けたのである。
続く