「或る日の情景」カテゴリーアーカイブ

或る日の情景~戦艦三笠

戦艦三笠
 
京急横須賀中央駅にある、記念艦三笠を見てきました。

戦艦三笠は、明治35年(1902)にイギリスで建造された戦艦で、 日露戦争では連合艦隊の旗艦として大活躍しました。

様々な情景を経て記念艦となった今、三笠はイギリスのヴィクトリー号、アメリカのコンスティチューション号と共に、世界三大記念艦と云われています。
まさに日本の歴史においては欠かすことが出来ない戦艦なのです。
かの名著『坂の上の雲』。
明治を生きたヒトビトの健気な生き様が、史実に基づきながら、とても素敵に描かれた読物です。
私のお気に入りは、物語の終盤に語られる日本海海戦のくだり。
海戦史上、類を見ない大勝利をおさめたこの海戦の顛末は、日本人ってエライなぁ〜と、つくづく感じ入ったものでした。
ヒトビト以外では、何といっても『戦艦三笠』。
それまで戦艦といえば『大和』であって『武蔵』であった私の世代です。
プラモデルでも大和や、武蔵は何千円もする高価なモデルがありますが、三笠ではどうでしょうか。
また、銀座にある『ミカサ会館』とイメージがカブって、今ひとつスルドサに欠ける『戦艦三笠』でしたが、それでも私は三笠に夢中になってしまいました。
 
日本海海戦後の明治38年、佐世保港に帰還していた三笠は不慮の事故による大爆発で沈没してしまいました。
その後修復された三笠は、現役に戻り、第一次世界大戦にも参加しますが、大正11年ワシントン軍縮条約によって、廃艦になりました。
さらに、大正12年9月1日の関東大震災によって大きな被害を受け、海軍から除籍されました。
ここで三笠は解体されることになるのですが、各方面からその保存を求める声が起こりました。
日本海海戦で活躍した三笠は歴史的記念物として永遠に忘れてはならないと保存運動は盛り上がり、ついには「三笠保存会」が組織されました。
結果、大正14年1月に、実際に戦闘の役には立たない状態にすることを条件として、三笠は記念艦として保存が決定されたのです。
記念艦となった戦艦三笠は、太平洋戦争後に「三笠保存会」の解散もあって、その保存が危ぶまれましたが、この時も、保存運動が起こり、保存会も再結成され、三笠は今に至るまでその姿をとどめています。

或る日の情景~北品川界隈01

北品川界隈01
 
ココは私の地元で…だなんて云うと、生まれも育ちも北品川の古い友人に怒られてしまいます。
私がココに住みついたのはホンの10数年前のことで、北品川の隣町、東品川に世田谷から越してきました。
旧東海道に接するこの界隈は、古き良き時代の情景に溢れており、地元の人達は、いわゆる『品川っ子』で、モノの本によると『負けず嫌いでへそ曲がりの頑固者』とのこと。
私が思うところでは、裏表がなく、人当たりはキツイがお人好し。馴染めば愉快なヒトビトです。
世田谷から越してきたばかりの頃、商店街の真ん中で、おじいさんとおばあさんがギャーギャー云って喧嘩をしているのに遭遇し、そのやりとりの可笑しさに、私はイッペンでこの街が大好きになってしまいました。
また旧東海道沿いには老舗の名店が点在しています。なかでも素晴らしいのが『丸屋履物店』。慶応元年創業の店先には、今でも五代目、六代目のご主人たちがその職人技で我々を魅了しています。
この街から出た著名人には、歌手の島倉千代子サンや、元・宝塚歌劇団月組の真琴つばさサンがいらっしゃって、前出の古い友人によると、島倉千代子サンはこの街のスイング・ジャズバンドの専属ヴォーカリスト出身で、ジャズを歌わせたらウンヌンカンヌンと語っておりました。

或る日の情景~五反田

五反田
私にとって五反田は、今は亡き父との思い出の街です。
まだ高校生だった私を父は、
『キャバレー』という不思議なカテゴリーのお店に連れてってくれました。
それが五反田でした。
私はこのキャバレーで、初めて父の『好みのタイプ』を知り、驚愕したことが忘れられません。
何故ならば、あまりにも似ていたのです。
私の『好みのタイプ』と、、。
この日の父は、ハゲシク上機嫌で、私もスルドク呼応し、親子でハテシナク夜の街かどを盛り上がりました。
以来、父と私は度々五反田にシュツボツします。
待合せはいつも決まって、駅前路地裏の洋食グリルエフ(昭和25年創業)。
嬉しいことに、この洋食屋さんは今も健在です。
趣のある店構えは圧巻です。
 
親子の五反田通いは1年ほど続きましたが、
或る日突然終わりました。
父の係の女性が移店したからです。
ようやく、イカガワシイ親子のキャバレー通いも終わりとなりました。
父と私は、1年振りにタダシイ親子のカタチに戻ったのでした。